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tosiuのブログ

うんち

心の支え

ここ最近は忙しい。

月から金は訓練があるし、土日はなんやかんやで母親と出かける事が多い。

今うちは離婚調停中で、夫婦で同居しているが完全に顔を合わせないようにしている。

自分も母親とは普通に話すのだけど、ここ最近は父親と話す機会がほとんどない。

少し前は父親とも話をしていたのだけど、母親とばかり話すようになってからは、何と無く離しにくい雰囲気なのです。

調停が終わり完全に離婚となると母親は家から出ていなかいとならないらしく、妹と自分と母の3人で暮らすかという方向に話が進んでいる。

そもそもの話、自分は成人しているので、自立すべきなのです。だからそれまでは面倒は見るよっていう感じで、就職を迫られているんですね。

今の家に残るという選択肢も取れる。けど父親も自立という面では同じらしく早く家から出ていくことを望んでいる。しかも最近は話もしていない。

 

自ずと自分は母親に付くしか選択肢はないのです。しかも就職は確定事項。

ああ結局はそこなんですよね。働かないと、就職就職就職。

あー嫌だ逃げ出したい。そもそも就ける職がない。そして続く気がしない。

そこで考えついた唯一の”逃げ”の選択肢が自分の心の中にだけあって、これは心の支えになっている。具体的なことはここには書かない。

だからそれが実現してほしい。そしてそれを親にも許容してほしい。そうすると自分はすごく楽になる気がする。

 

こないだ読んだ田中慎弥の孤独論という本で、面白かった事を載せときます。

人生はつまりは棚からぼた餅だというもので、そのぼた餅をキャッチするために一番いい場所にいようとすることがが努力で、落ちてくるかどうかは運。そのぼた餅は他人から見ると「ないじゃないか。」という幻想かもしれない。でもあまりにも追い詰められたりしていると棚の上にぼた餅があるということにも気付かない。というもの。

本文はもっといい感じに書いてあったと思います。

よく言われる努力論とニュアンスが一緒のところもありますが、これの肝は幻想でもいいということなんですよね。ぼた餅があるということに気付いてさえいれば少し生きやすくなる。それを取りに行くかどうかは自分次第なんでしょうが、まずは餅があるというくらいの余裕が心にあったほうがいい、そういうことだと思います。

非常に優しい本だったので疲れている人にはオススメです。書いてあることは自己啓発本っぽいところはあるけど、そういった本より言葉に面白さがあってよかったです。

 

 

 

 

 

 

家と外の境界線がゆるゆるな人

訓練に行き始めて一週間くらいたちました。月から金まで、同じ所に通うという事が高校生の時以来かもしれない。最初は苦痛なこともあったけど、それほど苦もなく通える気がする。いい状態なんじゃないでしょうか。

かといってこれを通して働けるようになれそうか、と言われるとそんなことはまったくない。でも、どこかに決められた時間に通うという行為自体が自分のためになってると思う。

 

たまにどうしようもなく苦しい時がある。それは、他者と自分を比較してしまう時。

自分のことを他人に開示しないといけない場が訓練中も何度かあって、自己紹介とか、長所と短所を言ってグループワークでみんなで意見をフィードバックしましょうみたいなの。

 

他の人達は、職歴とかもあって、そこでこういうことが好きで~とか長所をすらすらいって、短所もこんなことあるんですよ~みたいなスラスラと言うんですよ。

自分は長所なんて思いつかなくて、そもそも働いてないし、何かに夢中になってがむしゃらにってこともないんで、ほとんど言えなかった。

これは準備不足もあるのかもしれない。面接では絶対聞かれそうなことですし。

 

自己を開示しすぎることは必ずしも受け入れられることではないと実感しましたね。

公的な場では、多少自分を良いように見せるというか言い換えてそれっぽく振る舞うことが必要らしい。そのためには肩書きがないと、どんなに良いように言っても、無理があって辛いなと思いました。

 

自分の内面をどこまで開示するかってのはすごく悩む。

朝に順番で3分間のスピーチをしなきゃいけない時間がある。どこかに行ったとか趣味のこととか、子供がどうとか、みんな自分のことを語っている。

自分の番には本を読んだことを言おうと思って、ノートに言うことを書いてたけど、本を語ること、自分の内面は繋がっているのに気付いた途端に嫌になってやめた。

 

どうも他の人の話を聞いていると、公的な場とプライベートの差があまりなくて、自分を出しても平気そうなのです。それはやはり慣れなんんだろうか。

家と外を、行ったり来たりするたびに別の自分にスイッチするなんて面倒だし大変すぎる。

社会に馴染む気はあるけど、外でまであまり自分のことは語りたくないので強要しないでほしい。

 

 

 

 

『コンビニ人間』を読んだ

以前から気になっていた、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』読みました。

こういう暗い話を書こうと思うとセンチメンタルな文章になりそうな気もするんですが、主人公の感情は機会的だったので読みやすかったです。

おそらく、純文学の賞には数え切れないほどのセンチメンタルな文章の作品が送られてるきているんでしょう。偏見ですけど。

田中慎弥さんもそうでしたけど、底辺(白羽さん的言い方)の環境にいる方は、そのまま感情を文章にせずに物語でそういう感情を昇華させているからこそ面白いんだなあと思いました。ツイッターでセンチメンタルな感情をただ垂れ流してる自分からすると頭が上がらないですね。

 

読み始めに思ったことは、主人公恵子がコンビニ人間に徹している事とか、幼少期のエピーソードで人の気持ちがわからない等のいわゆるアスペルガー的な行動が、なんだか嘘っぽくて、社会的立場が低い自分を肯定するために、わざとロボットのような感情を持たない自分を作り出しているのかと思いました。

で、その後白羽さんが登場するんですが、自分が思ってようなことを口にしてゾっとしましたね。底辺って言葉が好きとか、うわあまさに自分だなあって。

今は自虐的に使ってますけど、そのうち何かのきっかけで外側に向かうようになれば、完全体白羽さんに成り兼ねない訳で恐ろしくなりました。

白羽さんのようなセンチメンタルの飲まれないようにするには、恵子の用に機会的にそのシステムに徹する人間として組み込まれるしかない。そう思い込んでしまうほどの説得力がありました。

 

話が飛んで自分の話。今日喫茶店に行って新聞にあった求人を見て母親と雑談してました。豆腐屋さんの募集があって、これいいんじゃないみたいに勧められて自分も一度はいいなあと思ったんですが、こういう職人的な仕事もコンビニ人間のように、コンビニでしか働けない人間のようになるような気さえしちゃんですよね。これは読む前にも思ったことですけど。

自分の立場上、そんな仕事を選べる立場でもまったくないのに。白羽さん思考が根付いてるというか、ニートってそういう思考に陥りがちだと思うんですよ。そんなこと生きるためには言ってられないですからね。

生きるために不可欠なものを得るために働かざるを得ない人間に求められる者は、やっぱり白羽さんが宗教だと吐き捨てたような事が必要で、男らしさ女らしさといった肉体的価値観が根付いてる環境に必然的に身を置くことになるんですよね。

そうなると肉体を鍛えるか勉強するしか救われる道はなさそうなんで、勉強するしかないですね。

これも労働から一時的に逃げているだけかもしれないですが、未来を嘆くよりかは有意義な選択だと思います。継続しないと意味がないので、始めは習慣付けることから、頑張ります。

 

夢を見せてくれる人と現実を語る人

本当は具体的な内容を濁しても伝わるように日記を書こうと思ったけど無理だった。なので正直に今日あったことを書くことにする。

 

 朝から母親に親戚の家に連れられそうになった。もっと寝たいし、行きたくもなかったので断ったのだけど、「都合のいい時だけ親を使って予定にも付き合わないのか。」と言われたので、仕方なく付いていった。

 

朝は喫茶店に行って、昼にコストコに初めて行きました。

やたらと量がある商品ばかり売ってた。自分は少食なんで、量のある食品にはあまり魅力を感じかった。

一番魅力的だったのがでっかいデディベア。多分1m以上あるじゃないでしょうか。

親がカートにデディベアを乗せてそのカートの上に子供を運んでるのをみて、その光景そのものが魅力ありましたね。可愛かった。

そんなのを見ると一瞬だけ欲しくなる。が、ここで勘違いしてはいけないのが、デディベアそのものが魅力的ではなく、可愛いものに可愛いものが付属した結果より魅力的になっただけであって、もし自分がそのデディベアを持ったとしても、気持ち悪さが増すだけなのである。

なのであんなものは必要ないんですね。そうは行っても店内を探し回ったけど。結局見つからなかった。(カートに乗せてる人は他にもみたけど。)

あとホットドッグは美味しかった。

 

その後親戚の家で夕食をして、触れられたくない話題、就職についてもちょっとだけした。

昨日書いたように大学に行きたいなんてのは当然言えなかった。就職目指して頑張れよって空気。当たり前だけど。何か働き口が見つかるといいねといった感じ。そしたら一安心、みたいな。

自分が今就ける職なんて限られてて、きっと最悪だっていうイメージしか沸かない。だって中卒だもの。本当に狭い範囲しかないと思う。

話題は別に移動してたけど、ずっとナイーブな気持ちになったので、その後はほとんど発言しなかった。

 

その後、やることもないので、唯一未だに付き合いのある友人とラインでやりとりしてた。

友人も同じニートでありながらも見えている未来は明るそうだった。その友人も大学を目指してるみたいで、そのことを親もサポートしてくれている。それでいて親戚の集まりでも、それが受け入れられていたらしい。周りも名門大学出の人が多いらしく、そういった話を聞くと、同じニートといっても階級の差みたいのを感じてしまう。

その友人が大学に行ける行けないは別として、周りに受け入れている環境が羨ましかった。

友人のが自分より明らかに知的な層にいることは間違いなくて、まだそこに達してなくても歓迎されていて、自分はその場所には一生縁がないと思うと辛い。

もし自分が何らかの形で就職しても、きっとずっとこの階層に留まることになるような気がしてならない。就職から逃げているだけかもしれない。

 

帰り道、母が離婚したら一緒に暮らそうかと提案された。自分が働けるまで、面倒見るよっていうけど、やっぱりすぐにでも自分が働くことは確定事項になっているらしい。あ~嫌だなあ。

きっと一生豊かにならずに人生を終えるに違いないと思うと、どうしようもない行き詰まり感から他の道へ逃げたくなるのでした。

 

 

 

 

教養コンプレックス

職業訓練に行き始めました。最初はコミュニケーションのためのレクリエーションがあって、隣の席の人にインタビューしてお互いに人なりを紹介するとかそんなのを何個かやった。

ニートの自分はやっぱり話すスキルは低いので、他の人のようにうまくはできなかった。

社会人経験者はやっぱり慣れてる。大学院まで出てる方とかもいて学力の差もビシビシ感じた。

プログラムの訓練なんですが経験者もいたりして、0から訓練だけで学べるほど甘くはなさそうです。これは事前にわかっていたことですけど、思ってたより経験者も多くてついていくのでも大変かもしれない。

年齢も学歴もバラバラで大学を卒業してたり院卒の人までいる空間に中卒の自分がいると劣等感が出てきたりもする。学歴に対するものというより自分があまりに無知で教養が無さすぎることを思い知らされる。

自分の教養のなさは学校に通ってないことが原因かと思っていたけど、正確にはずっと引きこもりのような生活を送っていたせいで、情報を隔離されていたことが原因なんだと最近はわかってきた。

インターネットはあってもアクセスするサイトは何のためにもならないようなものばかり。知ることを拒否してたようなものですね。簡単に言えば現実逃避。

 

コミュニケーション能力も低く特技もなく学力もなく体力もない人間が社会に出れるんだろうか。怖くて仕方ない。

最近は教養ある人へのコンプレックスが強くて、未だに大学に行きたい気持ちが強いですね。正直、働きたくないっていうのもありますけど…。

こういうコンプレックスが一度頭に入るとずっと離れなくて、一生付き合うことになるような気がする。

今はお金も学力もないので行けないですけど働いて貯めてから生きたいっていう気持ちがまた芽生えてきた。

きっと大学に入ったことある方は、大学行ったって意味ないよっていうかもしれないですけど。

書いてても嫌になるくらいずっと行く行かないの思考がループしていて、解消する手段があるならそうしたいです。

 

書いてて考えががまとまらない、ので今日はここまで。

またこのことについては書き直します。

 

 

 

 

モラトリアム再開

今日は朝から職業訓練に行ってきました。

久々に朝から電車に乗った気がする。こんな満員電車に毎日乗るなんて考えられない!と行く前は思ってたけど、イヤホンしながらなら別にへーきでした。ただスマホに曲を全く入れてなかったので、オルゴールの曲をループさせてずっと聞いてました。

今日はほとんど説明だけだったので楽でした。

半年間、土日祝日以外は毎日。久々に学校に行くような感じでちょっと楽しみですね。

本当は途中嫌になってたんですけど、面接の時一緒だった方が話かけてくれたので気持ちが楽になってやる気がでました。

そういえば高校は友達ができずに辞めてたことを思い出した。話す人がいないのは通いたくなくなる原因になりますからね。多少は自分からも声かけていったりしようと思います。

アンケート用紙に最終学歴を書く欄があって、自分は高校中退して高認で大学中退なので実質中卒なんですよ。思い出したくないので、ヤケクソになって”中卒”って書いて提出したら学校名を書くように修正させられて、ザ中卒な頭の悪さを見せてしまいました。

面接の時とか、履歴書は絶対突っ込まれる事を考えると死にたくなるので、今は訓練の事に集中したいです。いやほんとに…どうしましょう。

 

周りと自分を比べても自分は色々鈍い気がするし、無能な気がする。簡単なテストも一枚飛ばしたりとか、簡単な作文のようなものも一番遅かった。

自分のダサさを語るのは得意なんですが、自己アピールとか、自分を大きく見せるようする努力をしないといけないなあと思うとため息が出るネガティブ野郎なので、そういう輩は勉強する以外救いはないと思って頑張ります。

 

 

 

 

ダラダラ言うやつ

最近は生活リズムもめちゃくちゃで、停滞してる気がする。いつものことかもしれないけど。

最近の日常を振り返れば停滞も当然。だって昼過ぎにおきてネットしてるだけ。プログラムの本も一通り読んだけど、それで終わり。イラストの練習も模写したりノートにちょっと描くくらい。

たしなむ程度にやったくらいで、うまくなるわけないのはわかっているのに、どうもノリ気になれないことが多い。

極端な話、絵とプログラムだけ毎日練習しておけば、そのうち両方上達してるんじゃないかと思ってたのだけど、そもそもその2つとも手段でしかないわけで、目的なしにうまくなることはないように思える。

そういうこともあって全然充実してなく、ただ時間を経過させてます。

 

自分が多少は充実してると思える時ってどんな時だろうと考えると、読書してる時くらい。最近は全く読んでなかった。

家族との関わりしかない引きこもり気味の今、他人の価値観を知る機会は本くらいでしかないので、図書館に通おうと思います。

こういうこと、何回か言ってる気もする。とにかく今の状態はよくないとは思うので、ちょっとでも変えれたらと思います。