tosiuのブログ

うんち

良い未来が想像できない

起きている時間のほとんどをインターネットに使っているせいで、自分のことを考える時間はほとんどありません。そんななかで思考する時間があるの唯一の空間であるお風呂で将来のことをぼんやり考えてみました。

 

おそらくバイトくらいは始めるでしょう。それでもフルタイムで働いたり、正規社員を目指して就職活動する、という未来はなさそうです。意欲もなく能力もないとなると不可能でしょう。

それでも、多少のお金を家に入れて残る少ないお金を消費する日々、そこに学びや成長もなく、ただ年をだけを重ねていき、唯一の取り柄だった若さも失って何もない人間が誕生する。しかもその間友人や恋人なんてものは当然縁がなく、暇な時間があればぼーっとネットをみてる。

 

まさにジリ貧ってのはこのことで、これは問題を先延ばしにしたに過ぎないと思う。

自分が困らない最低限の生活を続けるためだけに最低限の労働をして一時的に逃れているだけで、ちっとも豊かになってないし、何のために生きてるかわかったもんじゃない。

消費するだけの生活はやめたい。

多分5年後この生活を続けていても、勉強しておけばよかったとか後悔したりとか、アフィリエイトで食べるだとか、そんなとこだろうと思う。

だったら今のうちから後悔しなようにやっとくべきだと思う。

今すぐに就職だとかは知ったことではない。だからその意味不明のプレッシャーに追われるのはやめる。

 

 

 

辛いことが3つ重ねると逃げ出す

お久しぶりです。

最近はサボり癖が再発しかけてます。これは非常にまずいです。

最初の方は罪悪感と休みの電話を入れる気まずさより、少し嫌でも通う方が勝っていたので、真面目に通ってたんです。ですが、一回休んでしまったときに、通うよりも電話一本入れるだけのが断然楽なのではと気付いてしまったのですね。それで前記は必要時間分ギリギリの出席数ということになってしまいました。一応乗り切ったのでよかったものを、本当に病気とかで休みたい時に休めないほうが辛いですよね。

 

今は後半に入っているのですが、はやくも既に昨日今日で2回のズル休みをしてしまっています。後期開始直後にこれはかなりまずいですね。

 

でも逆に言えばほとんどの日は通ているので、通えない日のがイレギュラーな日なんで、毎日気合をいれて通うってほど追い詰められてるわけでもないんですよ。

思い返せば、サボる日っていうのは前日から決まっているような気がします。

なので、今日昨日サボった理由を考えてみました。

 

①寝不足

一昨日から朝起きるのが辛く、昼頃にはだいぶ眠気を感じていたのにも関わらずうちに帰ると0時以降もネットをするというアホさで、睡眠の負債が溜まってて身体が疲れていた。

②一対一の面談

何度か就職相談の面談の予定があった。

③スピーチ

スピーチの時間があり、それが自分の番に回ってきたたがネタがなかった。

 

きっと日頃頑張ってる人からみると鼻で笑うレベルの事柄だと思います。

電話一本でこれから逃れられたいしたペナルティーもないんですよね。そうなると、その甘い選択してしまう意志の弱い人間なんです。

 

通えている日っていうのはこれが全部重なった日はないと思います。

これに対する解決策は順番に消化していくしかないですよね。

寝不足なら早めに寝て、面談とスピーチは言うことを事前に決めておけば気持ちが楽になり逃げることもありませんから。

ということでこれから頑張ります(小学生並の反省文)

改めて文書にすると精神性が幼すぎないか……?

 

久々に更新。近状報告

前の記事から一ヶ月くらいブログを更新してなかったので久々に書きます。

訓練校に通うようになってから一ヶ月くらいたちました。最初は朝起きるのがめちゃくちゃ辛かったんですが、今はそれほど苦もなく通えるようになりました。

ニートのときよりはだいぶ生活リズムが改善されたのでそれだけでも行った価値があったなと思います。

学校自体はどうなのかと言うと、一人でパソコンに向かう時間が多いのでコミュ障気味の自分でも楽しくやれてますね。思ってたよりプログラムの勉強は楽しいです。これが仕事になったらだいぶ違うんでしょうけど。趣味として続けるには良いかもしれませんね。

まだ一ヶ月くらいなんで出来ることはそんなに増えてないんですけどね。これからまた楽しみです。

 

ただ就職に対する意欲っていうのは薄くて、恐怖感?というのもあるんですよね。そりゃずっとモラトリアムなら楽しいんですけど、そうも行かなくて、最近も親から知り合いのツテで就職先を紹介してあげようかなんて言われたんですが、それを言われただけでもすごい心臓が押し潰されそうになるんですよ。何なんでしょうね?

 

話が変わって、近頃引っ越す予定があって物件を親と見て回ったりしてます。自分は寄生するだけなんですが、ネットで調べたりしてます。

なんで平日は訓練校で、休日は物件周りっていうのが多くて、結構忙しいんですよ。

自分的には部屋が1つあればいいので、その中で安そうなところを探してるんですが、なかなか決まらないですね。

親と話して、自分もいくらかは家にお金を入れることにしたので、その分は稼ぐために結局は働くことになると思いますが。

結局のところ、そうやって多少お金を家に入れて、無駄に時間を過ごしていてもジリ貧状態になるだけなのはわかってます。なんで、今すぐ働かないにせよ、何かお金に還元できることに時間を使って行かないといけませんね。

 

環境的にも心情的にも変化のときが来てるので、色々片付いてゆっくり自分のことができるようになるといいんですけどね~。おしまい。

 

 

 

 

 

心の支え

ここ最近は忙しい。

月から金は訓練があるし、土日はなんやかんやで母親と出かける事が多い。

今うちは離婚調停中で、夫婦で同居しているが完全に顔を合わせないようにしている。

自分も母親とは普通に話すのだけど、ここ最近は父親と話す機会がほとんどない。

少し前は父親とも話をしていたのだけど、母親とばかり話すようになってからは、何と無く離しにくい雰囲気なのです。

調停が終わり完全に離婚となると母親は家から出ていなかいとならないらしく、妹と自分と母の3人で暮らすかという方向に話が進んでいる。

そもそもの話、自分は成人しているので、自立すべきなのです。だからそれまでは面倒は見るよっていう感じで、就職を迫られているんですね。

今の家に残るという選択肢も取れる。けど父親も自立という面では同じらしく早く家から出ていくことを望んでいる。しかも最近は話もしていない。

 

自ずと自分は母親に付くしか選択肢はないのです。しかも就職は確定事項。

ああ結局はそこなんですよね。働かないと、就職就職就職。

あー嫌だ逃げ出したい。そもそも就ける職がない。そして続く気がしない。

そこで考えついた唯一の”逃げ”の選択肢が自分の心の中にだけあって、これは心の支えになっている。具体的なことはここには書かない。

だからそれが実現してほしい。そしてそれを親にも許容してほしい。そうすると自分はすごく楽になる気がする。

 

こないだ読んだ田中慎弥の孤独論という本で、面白かった事を載せときます。

人生はつまりは棚からぼた餅だというもので、そのぼた餅をキャッチするために一番いい場所にいようとすることがが努力で、落ちてくるかどうかは運。そのぼた餅は他人から見ると「ないじゃないか。」という幻想かもしれない。でもあまりにも追い詰められたりしていると棚の上にぼた餅があるということにも気付かない。というもの。

本文はもっといい感じに書いてあったと思います。

よく言われる努力論とニュアンスが一緒のところもありますが、これの肝は幻想でもいいということなんですよね。ぼた餅があるということに気付いてさえいれば少し生きやすくなる。それを取りに行くかどうかは自分次第なんでしょうが、まずは餅があるというくらいの余裕が心にあったほうがいい、そういうことだと思います。

非常に優しい本だったので疲れている人にはオススメです。書いてあることは自己啓発本っぽいところはあるけど、そういった本より言葉に面白さがあってよかったです。

 

 

 

 

 

 

家と外の境界線がゆるゆるな人

訓練に行き始めて一週間くらいたちました。月から金まで、同じ所に通うという事が高校生の時以来かもしれない。最初は苦痛なこともあったけど、それほど苦もなく通える気がする。いい状態なんじゃないでしょうか。

かといってこれを通して働けるようになれそうか、と言われるとそんなことはまったくない。でも、どこかに決められた時間に通うという行為自体が自分のためになってると思う。

 

たまにどうしようもなく苦しい時がある。それは、他者と自分を比較してしまう時。

自分のことを他人に開示しないといけない場が訓練中も何度かあって、自己紹介とか、長所と短所を言ってグループワークでみんなで意見をフィードバックしましょうみたいなの。

 

他の人達は、職歴とかもあって、そこでこういうことが好きで~とか長所をすらすらいって、短所もこんなことあるんですよ~みたいなスラスラと言うんですよ。

自分は長所なんて思いつかなくて、そもそも働いてないし、何かに夢中になってがむしゃらにってこともないんで、ほとんど言えなかった。

これは準備不足もあるのかもしれない。面接では絶対聞かれそうなことですし。

 

自己を開示しすぎることは必ずしも受け入れられることではないと実感しましたね。

公的な場では、多少自分を良いように見せるというか言い換えてそれっぽく振る舞うことが必要らしい。そのためには肩書きがないと、どんなに良いように言っても、無理があって辛いなと思いました。

 

自分の内面をどこまで開示するかってのはすごく悩む。

朝に順番で3分間のスピーチをしなきゃいけない時間がある。どこかに行ったとか趣味のこととか、子供がどうとか、みんな自分のことを語っている。

自分の番には本を読んだことを言おうと思って、ノートに言うことを書いてたけど、本を語ること、自分の内面は繋がっているのに気付いた途端に嫌になってやめた。

 

どうも他の人の話を聞いていると、公的な場とプライベートの差があまりなくて、自分を出しても平気そうなのです。それはやはり慣れなんんだろうか。

家と外を、行ったり来たりするたびに別の自分にスイッチするなんて面倒だし大変すぎる。

社会に馴染む気はあるけど、外でまであまり自分のことは語りたくないので強要しないでほしい。

 

 

 

 

『コンビニ人間』を読んだ

以前から気になっていた、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』読みました。

こういう暗い話を書こうと思うとセンチメンタルな文章になりそうな気もするんですが、主人公の感情は機会的だったので読みやすかったです。

おそらく、純文学の賞には数え切れないほどのセンチメンタルな文章の作品が送られてるきているんでしょう。偏見ですけど。

田中慎弥さんもそうでしたけど、底辺(白羽さん的言い方)の環境にいる方は、そのまま感情を文章にせずに物語でそういう感情を昇華させているからこそ面白いんだなあと思いました。ツイッターでセンチメンタルな感情をただ垂れ流してる自分からすると頭が上がらないですね。

 

読み始めに思ったことは、主人公恵子がコンビニ人間に徹している事とか、幼少期のエピーソードで人の気持ちがわからない等のいわゆるアスペルガー的な行動が、なんだか嘘っぽくて、社会的立場が低い自分を肯定するために、わざとロボットのような感情を持たない自分を作り出しているのかと思いました。

で、その後白羽さんが登場するんですが、自分が思ってようなことを口にしてゾっとしましたね。底辺って言葉が好きとか、うわあまさに自分だなあって。

今は自虐的に使ってますけど、そのうち何かのきっかけで外側に向かうようになれば、完全体白羽さんに成り兼ねない訳で恐ろしくなりました。

白羽さんのようなセンチメンタルの飲まれないようにするには、恵子の用に機会的にそのシステムに徹する人間として組み込まれるしかない。そう思い込んでしまうほどの説得力がありました。

 

話が飛んで自分の話。今日喫茶店に行って新聞にあった求人を見て母親と雑談してました。豆腐屋さんの募集があって、これいいんじゃないみたいに勧められて自分も一度はいいなあと思ったんですが、こういう職人的な仕事もコンビニ人間のように、コンビニでしか働けない人間のようになるような気さえしちゃんですよね。これは読む前にも思ったことですけど。

自分の立場上、そんな仕事を選べる立場でもまったくないのに。白羽さん思考が根付いてるというか、ニートってそういう思考に陥りがちだと思うんですよ。そんなこと生きるためには言ってられないですからね。

生きるために不可欠なものを得るために働かざるを得ない人間に求められる者は、やっぱり白羽さんが宗教だと吐き捨てたような事が必要で、男らしさ女らしさといった肉体的価値観が根付いてる環境に必然的に身を置くことになるんですよね。

そうなると肉体を鍛えるか勉強するしか救われる道はなさそうなんで、勉強するしかないですね。

これも労働から一時的に逃げているだけかもしれないですが、未来を嘆くよりかは有意義な選択だと思います。継続しないと意味がないので、始めは習慣付けることから、頑張ります。

 

夢を見せてくれる人と現実を語る人

本当は具体的な内容を濁しても伝わるように日記を書こうと思ったけど無理だった。なので正直に今日あったことを書くことにする。

 

 朝から母親に親戚の家に連れられそうになった。もっと寝たいし、行きたくもなかったので断ったのだけど、「都合のいい時だけ親を使って予定にも付き合わないのか。」と言われたので、仕方なく付いていった。

 

朝は喫茶店に行って、昼にコストコに初めて行きました。

やたらと量がある商品ばかり売ってた。自分は少食なんで、量のある食品にはあまり魅力を感じかった。

一番魅力的だったのがでっかいデディベア。多分1m以上あるじゃないでしょうか。

親がカートにデディベアを乗せてそのカートの上に子供を運んでるのをみて、その光景そのものが魅力ありましたね。可愛かった。

そんなのを見ると一瞬だけ欲しくなる。が、ここで勘違いしてはいけないのが、デディベアそのものが魅力的ではなく、可愛いものに可愛いものが付属した結果より魅力的になっただけであって、もし自分がそのデディベアを持ったとしても、気持ち悪さが増すだけなのである。

なのであんなものは必要ないんですね。そうは行っても店内を探し回ったけど。結局見つからなかった。(カートに乗せてる人は他にもみたけど。)

あとホットドッグは美味しかった。

 

その後親戚の家で夕食をして、触れられたくない話題、就職についてもちょっとだけした。

昨日書いたように大学に行きたいなんてのは当然言えなかった。就職目指して頑張れよって空気。当たり前だけど。何か働き口が見つかるといいねといった感じ。そしたら一安心、みたいな。

自分が今就ける職なんて限られてて、きっと最悪だっていうイメージしか沸かない。だって中卒だもの。本当に狭い範囲しかないと思う。

話題は別に移動してたけど、ずっとナイーブな気持ちになったので、その後はほとんど発言しなかった。

 

その後、やることもないので、唯一未だに付き合いのある友人とラインでやりとりしてた。

友人も同じニートでありながらも見えている未来は明るそうだった。その友人も大学を目指してるみたいで、そのことを親もサポートしてくれている。それでいて親戚の集まりでも、それが受け入れられていたらしい。周りも名門大学出の人が多いらしく、そういった話を聞くと、同じニートといっても階級の差みたいのを感じてしまう。

その友人が大学に行ける行けないは別として、周りに受け入れている環境が羨ましかった。

友人のが自分より明らかに知的な層にいることは間違いなくて、まだそこに達してなくても歓迎されていて、自分はその場所には一生縁がないと思うと辛い。

もし自分が何らかの形で就職しても、きっとずっとこの階層に留まることになるような気がしてならない。就職から逃げているだけかもしれない。

 

帰り道、母が離婚したら一緒に暮らそうかと提案された。自分が働けるまで、面倒見るよっていうけど、やっぱりすぐにでも自分が働くことは確定事項になっているらしい。あ~嫌だなあ。

きっと一生豊かにならずに人生を終えるに違いないと思うと、どうしようもない行き詰まり感から他の道へ逃げたくなるのでした。